心のビタミンバックナンバー

161〜170


No.161  死が変わる

 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。
     伝道者3・19

 島崎藤村に、死の床で死について問われた田山花袋は、「暗い穴に落ちて行くようだ」と答えたといいます。
 井上靖氏は、「死は大きな不安だ。こんな大きな不安には、僕だって医者だって、とても追いつくことはできないよ」と語り、さらに死の2日前には娘さんに、「本当にどうしたらいいのだろうね」と語ったということです。
 がんで亡くなった清水クーコさんも生前、「眠ってしまうと死んでしまうと思って、朝までベッドに座ってずっと起きていた」ということがあったようです。いずれも、すべての人に確実に、しかも個人的に訪れる死への恐怖を物語っています。
 けれども、キリストを信じ、罪の赦しを得ることによって、死が一転して天の御国への希望の門口へと変わるとは、なんという幸いでしょう。地上での別離の悲しみはあっても、得体の知れない死の暗闇が、永遠の世界を指し示す希望への旅立ちへと変わるのです。



No. 162 難しい時代の中で

 ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
    創世6・9

 ここでは、「その時代にあっても」が大切です。ノアの時代は悪が増大し、堕落し、暴虐が満ちていました。そんな時代であるにもかかわらず、彼はしっかりと顔を神の方に向け、ひとり神の心を心として生きようとしていたのです。
 以前新聞に、岩肌に根をからみつけるようにして、上に双葉をつけている植物の写真が載っていました。これがいのちだと言わんばかりに。おそらく写した人も感動したのでしょう。本来ならば、土も見当たらない岩場に種が落ちても生きられないはずなのに、少しばかりの土と水分とを求めて、根を岩肌に絡ませながら、発芽していのちを証ししている姿は感動的でした。
 仏教と神道の堅い土壌に、新興宗教などのいばらが生えると言われるこの岩肌のような日本で、それでもなおキリストの福音が芽生え、いのちを証しするならば、それは大いなる感動ではないでしょうか。



No.163 地の塩として

 あなたがたは、地の塩です。
    マタイ5.13

 昨年、私たちの街でなかなか評判のパン屋さんが洗礼に導かれました。聖書を読み進むうちに、「地の塩」の教えに目が止まったということです。パンに砂糖は入らなくても、塩の入らないパンはなく、フランスパンなどは、水と粉と塩だけでできているのだそうです。塩だけであれだけの味が出るのだから、大したものだと話しておられました。塩は味の引き出し役というわけです。
 つまり、塩がなくてはパンはできないのですから、パン屋さんにとって塩は、どんなにか大切なものなのでしょう。
 ところでイエスさまは、私たち信仰者を地の塩と呼んでくださいました。この地上で私たちクリスチャンは、いてもいなくても差し支えないような存在に思うことが時としてあります。しかし、イエスさまはそうは見ておられないのです。主が熱い思いを寄せておられるこの大地に、どうしてもなくてはならない存在として、わざわざ置かれているのです。



No.164 与える側に立つ

 受けるよりも与えるほうが幸いである。
     使徒20・35

 一人の姉妹が天に召されました。集会出席や祈りや聖書を読む生活に熱心な方で、九十歳でした。葬儀の席上、彼女がどんなに家族を愛しておられたかが、ご家族の口を通して証しされました。昔、お孫さんに無農薬で育てた山羊の乳を飲ませるために、早朝よく乳搾りに出かけたりもしておられたようです。
 しかし驚いたのは、そのお孫さんが大学生になった頃の思い出話でした。なんと、七十歳を過ぎてから彼女は、看護婦が不足していたある病院に、看護婦として現役復帰したというのです。ベッドからずり落ちた毛布を一枚でも掛けてあげられるならと。七十歳といえば、看護する側ではなくされる側だと普通は考えます。大学生になった時、お孫さんはおばあさんを病院に訪ねてその姿に接し、感動をおぼえたということです。
 家族と他人の分け隔てなく、与える側に徹して生き抜いた生涯。いつまでも感銘深く人々の心に残ることでしょう。



No.165 みこころの道を

 わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。
     マルコ14・36

 アメリカで非常に良い働きをしている牧師が、人生の成功について次のように話されました。
 「それは偉大なことをやったり、有名になることではない。神が自分に用意しておられるみこころの道を歩むことだ」と。
 その牧師は、クリスチャンであった父親にそう教えられて育ったということです。
 時としてクリスチャンである私たちも、財を築いたり、名を残したりすることが成功だと錯覚しがちです。けれども人生の真の成功とは、神が自分に望んでおられる道を淡々と歩むことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
 神は、自分の人生に何を望んでおられるのか、どこまで来ることを願っておられるのか。心の耳を澄まして知り、そこにしっかりと焦点を当てた人生を歩みたいものです。まわりに左右されたり流されたりすることなく、一歩一歩着実に踏みしめながら。



No.166 行動の源泉


 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
   マルコ 1・35


 四福音書の中で最も短いマルコの福音書の特徴は、随所に出てくる「そしてすぐ」ということばに表れています。つまり、行動するイエスさまの姿です。
 登場から十字架まで、端所に一気に駆け上がるように一つひとつの事件が描写され、次々と展開していきます。
 ところが、よくよく目を留めていくと表面には現れない、行動の背後にあるイエスさまの祈りの生活が見え隠れしています。この前日、主は病のいやしをされ、町中の評判でした。けれどもこの朝、まだ暗い中で一人祈る場所を探し、目まぐるしい一日が始まる前にたっぷり時間をとって、天の父との豊かな交わりの時間をもたれたのでした。
 この日、押し寄せて来た群衆に身を任せず、父なる神の伝道計画にのみ従って、強い意志をもって別の村里へと旅立たれました。福音宣教の第一の使命を果敢に全うし得た理由はここにあるのです。



No. 167 祈りは原動力

 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
    マルコ1:38

 祈るとどこが違うのか。行動の合間合間に時間をとって、わざわざ場所を聖別して祈られたイエスさまは、翌日の行動が変わりました。普通なら人々の評判に身を任せ、心地よさに浸るものです。しかし、神との交わりを第一にしておられた主は、ただ、天の父のみこころに厳然と従われたのです。
 そもそも何のために、どこから、だれの意志でやってきたのか。私たちも神の御前で、祈りのうちに過去の原点と将来の十字架までのプランや使命を確認しましょう。すると、限られた時間の中で今何をすべきかが自ずと絞られ、見えてきます。
 確かに、今この町にだらだらとどまり、幾日も費やすべきではありませんでした。次の町にも、この尊い福音を携えて行くべき時だったのです。
 祈りこそ、私たちの流されがちな生活を変え、神のみこころの方向へと力強く導いてくれる原動力です。



No.168 最善の備え

 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。
     詩篇 5・3 

 ダビデは、この詩が表すように、一日を始める前の備えが、目に見えない祈りにあることを知っていました。
 確かに祈りは、他の何ものにも勝る、来たるべき一日の備えです。一日が始まって、行動や形となって過ぎ去ってしまう前に、まだ見ぬ一日のために、見ずして信じ祈るところから、信仰の世界のみわざは始まっていくのです。
 私たちは、目に見える氷山の海面下に、海上に浮かぶよりはるかに大きな氷の塊が身を沈めていることを知っていますj。火山も、マグマが十分地下に蓄えられた後に地上に噴き出るのです。
 私たちの教会は五十年の歴史をもっていますが、この伝統の力は祈りの蓄積であることを痛感します。多くの信徒たちの祈りが十分に染み渡った後、堰を切ったかのように神のみわざが地上に現れます。祈りこそ、神のみわざを引き出す最大の備えです。



No.169 器づくりにも

 そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。
     マルコ2:22

 開店間もないレストランに足を運んだ時のことです。行って驚きました。空席が見えているのに、入口でずいぶん待たされました。やっと案内されて着いたかと思うと、隣のテーブルの上は、かなり前に店を出たと目されるお客さんの食べ残した食器が放置されたままです。その後、注文を取りに来るまでどんなに時間がかかり、実際に料理を口にするまで、どれほどの時を要したかは、ご想像に任せます。
 食事はどんなにおいしくても、この手際の悪さではいただけません。もちろん中身は肝心ですが、もてなし方や装いも無視できないのです。
 翻って、私たちの教会はどうでしょうか。すでにイエスさまの素晴らしいいのちを内に宿しているのですから、それにふさわしい器づくりにも心を配りたいものです。イエスさまのみもとに来る人を心から歓迎し、訪れた人に、ここにはいのちがあると実感してほしいのです。 



No. 170 皆が立ち上がれ

 彼らはあなたとともに重荷をになうのです。
   出エジプト18:22

 松下電器の創設者松下幸之助氏は、その前身となる小さな電気会社を始めて間もなく、大恐慌に見舞われました。経営の困難に直面した経理担当者が、やむなく人員削減を提案したところ、社長である彼は断固拒否したといいます。「会社の都合で雇い、都合が悪くなったら首を切るなどということができるか。一人も解雇しない」と。
 そのことばに社員一同大いに感激したそうです。さっそく、仕事を終えると従業員一人ひとりがセールスマンとなり、自発的に自社の製品を売り歩き、ついに、暗くて長い不況のトンネルを乗り切ったのでした。
 会堂建設を前にしたある教会を訪れた時、一人の教会員が、「いつ転勤になるかもしれないが、逃げずに自分のこととして取り組みたい」と話していました。だれかが立ち上がるのでなく、私が、そして皆が立ち上がるのです。困難と思える事態に立ち向かう時、神のみわざは必ずや現れるに違いありません。