まるかじり創世記


■ 真実なささげもの― 創世記4章1〜7節

アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物
とに目を留められた。 (4章4節)

「それも」が目をひきます。アベルは「初子の中から、それも最上のものを」ささげたのです。なるほど主が、弟アベルの、このささげものに目を留められた理由もわかるような気がします。彼は手塩にかけて育てた羊の中から一番大切なものを、すなわち「初子」を、それも最上のものをささげました。身を正して厳かに、真心込めてささげようとする彼の真実な信仰が伝わってくるようです。
.....このアベルがこの後、このささげ物の一件が引き金になって、兄のカインに殺害されるわけですが、どんなにか無念だったことでしょう。けれども聖書は語ります。「彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています」と。また「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです」(ヘブル11章4節)
.....アベルは羊飼いとなり、兄のカインは土を耕す者となりました。何もそこに優劣があるのではないのです。農作物にせよ、羊にせよ、肝心なことは、一番大切なものを心を込めて、真実に主にささげるという信仰です。姿勢です。ささげ物という体てい裁さいのみを整え、信仰や真実の伴わないささげ物も確かにありうるでしょう。
.....主を第一にし、心を込めて仕えることです。それゆえに苦しむことがあったとしても、主はそんな私たちに、確かに目を留め、見逃されはしないのです。